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March 24, 2010

夢を与えること

以前、幸福度、ということを考えたことがあった。
ブータンという国でのことだ。
Gross National Happiness(GNH)が高い国、ブータン。国民の98%が自分は今、幸福だと感じているらしい。
今の日本はどうだろう?全国民の3%は自殺で亡くなる。うつ病で休職したり元気のない人も多い。日本社会を渦巻く逼塞観は著しいものがある。

幸福度には公式があるという、幸福度=達成度/要求だそうだ。
つまり要求が大きくなるとどんなに達成しても満たされず幸福感を味わえないのだそうだ。

そこでふと考えた。
子供に夢を与えることは…正しいことなのだろうか?

「イチローみたいになりたい!!」とか「将来の夢はデザイナー」みたいな話は多い。かくいううちの息子も将来の夢はJリーガーだそうだ。
きっとそうして夢を語ったほとんどの子供たちは、その夢を叶えることはできない。
それなのにオリンピックが終わると、才能ある一握りの、そして幸運でもあった努力家の人たちを取り上げ、あたかも全ての国民が努力さえすれば夢を叶えられるかのような幻想をまき散らすことは…正しいことなのだろうか?

子供の頃に与えられた夢が、壊れていく過程が大人へと続く道とするならば、大人への成長過程は全て、幸福とはほど遠いものになってしまうのではないだろうか?要求が大きくなるような教育ばかりを受け、長じてそれに追いつけていない自分の達成度を顧みる中で、人々は絶望し、夢の叶わなかった自分自身を嘆き、小さくまとまって虚ろに社会を生きていくのだろうか。
甲子園の園児が夢破れて球場で砂を拾う姿に感動するのが日本人のタイプならば、夢敗れる若人を見るのも同じような感傷で見られるのかも知れないが、夢敗れた当人たちは人ごとではないだろう。

もちろん大多数の大人は、そのような中でも、社会における自分自身の役割を再認識し、一隅を照らすように生きていけるのだろうけれど、多くの子供たちの中には、そう思えないで大人になってしまい、社会に出られないでしまう人がいるのではないだろうか。

だから…子供に夢を与えることは、良くないことではないのだろうか?

入学試験のこと…

ちょっと最近、バタバタしていてご無沙汰だった。
受験にまつわることについていろいろと考える機会があったので、それを少し書き残しておく。

学校側からの入学試験の目的は、その学校の持っている教育上の目的(たとえば医学部だったら、卒業したら医師国家試験に合格して医師になり、しっかり働けたり、あるいは研究者としてきちんとした成果を出すようになること、などなど)を達成するために必要な人材を、あまたの高校生(あるいはそれに準ずる学力を持つ者)の中から選抜することにある。

医学部の定員を増やすと、成績の悪い学生も多く入学してくるためレベルが下がる、との議論が良くされているが…では今の入学試験は、我々の当初の目的を十分果たしているといえるのだろうか。

詳しいことは書かないが、どうも最近の学生を見るに「否」という思いが強い。今の入学試験は、我々の求める人材を抽出する精度を欠いている、と感じる。

勉強だけできても、人生をうまく生きられない人間のいかに多いことか。
勉強だけできても、社会に出て通用しない人間のいかに多いことか。
勉強だけできても、自分自身に満足できない人間のいかに多いことか。
そしてそのことは同時に、その人自身にとっていかに不幸なことか…。


必要な人材を抽出できる入学試験制度…とはどういうものかよく考える必要がある、と思っている。
また有為な人材を育成していくために、社会全般による教育、というものがいかに重要か、考えている。
Dscf0938
なお写真は、飯山線土市駅のホームから撮った写真。
暮れゆく晩冬の夕方、線路が静かに延びている。
好きな風景だ。

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